英国核武装の紆余曲折、そしてKGBのスパイ

  • As I said below on March 25, I’m abolishing my beaded accessory business
    in several months. Then, I’ll remake this whole website into a new, anti-nuke
    site focused on the “historical inseparability between nuclear weapons and power”.
    The new website is to be written in Japanese since it is targeted at Japanese readers. Until then, I’ll occasionally post some articles about this inseparability
    here.
  • 下の3月25日に述べましたように、あと数か月でこのビーズ アクセサリーのビジネスは廃業します。その際、このウェブサイト全体を新たな反核サイトに作り変えます。そのフォーカスは、
    「核兵器と核発電の歴史的不可分性」にあります。
    その作り変えのときまで、時折ここに、その「不可分性」に関する記事を投稿しますね。
    ご注意: 移行期間中の記事においても、数か月先の新ウェブサイトにおいても、あれこれ
    英語のウェブサイトや書籍からの引用をしますが、その日本語訳は致しません。
    私は翻訳者ではないので、正確な翻訳などできないからです。それと、著作権所有者に無断で翻訳・発表をすると、著作権法上の法律問題も発生してしまいます。できるかぎり、皆様も引用元の原文をお読みくださいね。
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    英国の核武装化とそれに伴う原子炉建設の動きは、紆余曲折してました。
    核武装に関する略史は、英語版Wikipedia の “Nuclear weapons and the United Kingdom”
    https://en.wikipedia.org/wiki/Nuclear_weapons_and_the_United_Kingdom
    というページにあるのですが、流れが二転三転した歴史だったので、年表形式で極めて
    簡略にまとめてみます:1939 - 英国のバーミンガム大学で二名の物理学者が、ウラニウム235 を核爆発させる
    には、10㎏程度以下で可能であることを推定。
    * 本来、この発見は軍事利用を前提としたものではなかったようですが、第二次大戦中
    が始まり、連合国側には「ヒットラーが先に新型超爆弾を実用化したら ・・・」という
    強力な不安があり、当然のように軍事利用の努力が始まることになります。
    アメリカは S-1 Project という核兵器開発プロジェクトを開始しましたが、当初は貧弱なものでした。(でも後に、これが有名な Manhattan Project に発展していきます)1940 - この時点では英国の核兵器技術の方がアメリカより進んでいたので、
    英国はアメリカの S – 1 に技術情報を提供。情報交換が進む。1941 - 英国独自の原爆開発を進めるため(カナダも協力)、Tube Alloys
    という局を設立。しかし英国には開発プロジェクトのための
    リソースが不足していた。→ 両国の原爆開発プロジェクトが融合していった。

    1943 - 両国はこの核開発での協力に合意し、Quebec Agreement(ケベック合意)を
    交わす。
    * そうして英国は物理学者や技術者をアメリカに派遣しますが、その中にすでに、
    旧ソビエト連邦のスパイが潜入していました。(後述)

    1945 - 広島と長崎を原爆で破壊。第二次大戦終了。
    * これで、核兵器開発での協力の必要性そのものに、疑問が呈されることになりました。
    英国は「最重要の緊急課題」として、自国の原子炉とプルトニウム抽出との施設の
    新設を承認。

    1946 - アメリカのMcMahon Act(マクマホン法)が成立、協力が解消。
    * 上記のスパイ潜入も、この解消に至る大きな要因であったことは、言うまでもありません。
    英空軍のTedder 参謀長、1957年までに推定で200発の原爆が必要になると推定。

    1949 - 旧ソビエト連邦が、原爆実験に成功。
    * 西側は、あわてます。英国はアメリカとの協力再開に努め、Windscaleでできる Pu とアメリカの濃縮 U235 との交換などを提案したのですが、結局合意には至りません。

    1950 - Windscale Pile 1、稼働開始。

    1951 - Windscale Pile 2、稼働開始。

    1952 - オーストラリア西部の Monte Bello 諸島で、英国が原爆実験に成功。
    それ以降、Blue Danube (青きドナウ)という自国製原爆を実戦配備。

    1957 - 旧ソビエト連邦、史上初の人工衛星「スプートニク1号」の発射に成功。
    * これでアメリカが大いにあわてたのは、有名な話ですね。
    それを機に、米英両国は核兵器での協力を再度模索、アメリカはマクマホン法を
    改正し ・・・

    1958 - ・・・ 英米両国は、相互防衛協定を締結。

    ま、あくまで上記は、かなり概略化した年表です。
    それでも、原子炉と核兵器の不可分な結びつきが窺えますよね。

    スパイが入り込んでいた!

    スターリンは、おバカさんではありませんでした。
    マンハッタン プロジェクトの中枢だった Los Alamos 研究所に、
    少なくても 3人もスパイを潜入させていたのです。

    J. Mahaffey, “Atomic Awakening” という著作の p. 203 から
    かいつまんで紹介すると、

    ・・・ Klaus Fuchs は英国から派遣されてきた物理学者、Ted Hallは
    シカゴ大学の物理学者、David Greenglass は機械技術者だった。
    ・・・ 彼らから集めた情報をもとに、旧ソビエト連邦は1946年、エンリコ
    フェルミのChicago Pile によく似た原子炉を作成していた。Arzamas-75
    という名称だ。・・・

    なお、この3名のスパイのうち、Hall 以外の2名は二次大戦後に逮捕され、
    服役したそうです。Hall の正体が確認されたのはかなり後で、
    1997年のことだったそうです。

    1949年の旧ソビエトによる原爆実験は秘密裏に行われましたが、その
    原爆は長崎を焼き滅ぼしたFat Manに類似したものだったそうです。
    やはり、原子炉と原爆の関連が現れた事実の例ですね。

    なお、「ソビエトのスパイが~~」などと記すと、
    「ゴルゴ13 かなにかの、読み過ぎじゃないの??」とか
    言われそうですが、上述の “Atomic Awakening” は
    核関連の歴史を科学者が記した書物でして、
    スパイ小説でもなんでもございません。
    Webなら、Atomic Heritage Foundation のウェブサイトにも
    Fuchs に関するページがあって、
    https://www.atomicheritage.org/profile/klaus-fuchs
    でご覧になれます。
    BBCのテレビ番組でも以前にFuchsのことを紹介しており、
    https://www.youtube.com/watch?v=FEa1izkc0pw
    でご覧になれます。

    フランスや中国は??

    フランスや中国での核兵器開発と原子炉の不可分な関係を
    調べて取り上げることもできますが、この「不可分性」の
    実例としては、これまでの3国で充分じゃないでしょうか??

    次回からは、イラク、シリア、イスラエル、イラン、北朝鮮、南アフリカ、
    リビアといった諸国での実例を、それぞれかいつまんで
    見ていきたく思います。

About FrancisH

A freelance painter, copywriter, and beading artist
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